FC2ブログ
08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

スーザン・ケイの『ファントム』

2013/09/09
私の一番好きなミュージカルは、『オペラ座の怪人』で、ジェラルド・バトラー主演の映画にもハマったクチなのですが。

それに関連して、スーザン・ケイの『ファントム』を読みました。

ファントム〈上〉 (扶桑社ミステリー)ファントム〈上〉 (扶桑社ミステリー)
(1994/09)
スーザン ケイ

商品詳細を見る


ファントム〈下〉 (扶桑社ミステリー)ファントム〈下〉 (扶桑社ミステリー)
(1994/09)
スーザン ケイ

商品詳細を見る


この本自体を読んだのは、初めてではありません。
4年ほど前に買って、一度、最初から最後まで読んで、とても感動したのを覚えています。

それで、ブログに感想を書こうと思っていたものの、なんやかんやでそのままになっていました。

…で、このあいだ、W.アーヴィングの『アルハンブラ物語』を読みおわったので、久しぶりにこの本をとりだして読んでみることにしました。

ちょうど読みおわったので、今度こそ、感想を書こうと思います。

以下、ネタバレを含みますので、OKな方のみどうぞ↓↓↓

この本は、ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』のいわば二次創作で、ロイド=ウェバーのミュージカルなども考慮に入れつつ、ファントムの人生を再構成し、その誕生から死までを丁寧に描いた物語です。

原作やミュージカルなどと違って、ファントム=エリックが「オペラ座の怪人」となる以前を詳しく語っている点がこの物語のポイントです。
つまり、この物語では、どうしてエリックが「オペラ座の怪人」にみられるようなああいう人間になったのか…という経緯が描かれます。

二次創作で、おまけに文学作品的というよりは娯楽小説に近い趣なので、日頃から小説を読まない私のような人間にも読みやすい反面、文学に親しみのある方には、もしかしたら物足りなく思われるのかもしれません。

また、この物語は、エリックに焦点を当てており、明らかに作者はエリックというキャラクターを愛しているがゆえに、内容はかなりエリックびいきです。

…なので、原作やミュージカルでエリックのファンになり、彼の人となりに興味をもった人にとっては心地よい物語な反面、そうでない人にはいまひとつかもしれません。
特に、ラウルが好きな人にはつらいかも…。

まあ、つまりは賛否両論激しいだろうなぁ…と思われるわけです。

でも、私個人としては、大好きな物語です。

…という点を、最初に確認しておいて。

***

さて、物語は、エリックの一生を描きだすわけですが。

実際には、エリックが生まれる前、母親の生い立ちから両親の出会いについてもざっと描かれ、またエリックの死後17年たって、ラウルが息子シャルルとともにパリのオペラ座を再訪するところで終わります。

物語は、すべて一人称でクロノロジカルに語られますが、その語り手は、エリックの母マドレーヌ→エリック→ジョヴァンニ…というように、それぞれの時期に対応して変化していきます。

大筋としては、

①エリックの誕生から家出まで。

②エリックがロマとともに放浪しながら、容貌の醜さと奇術の腕前で見世物となる日々。

③イタリアでマスターメイソンのもと、建築の修業に励む日々。

④皇帝の要請でペルシャへおもむき、ナーディルとともに過ごす日々。

⑤ペルシャから脱出したあとのベルギーでの日々と実家への短い帰還。

⑥パリでガルニエとともにオペラ座の建設に励む日々。

⑦オペラ座でのクリスティーヌとの出会いと別れ。

⑧エリックの死後、ラウルがオペラ座を再訪する。

…大体、こんな感じだったと思います。

原作やミュージカルで描かれるのは、⑦の部分ですね。

***

すべてのはじまりとなるのが、①のエリックの誕生から家出のくだり。
ここは、母マドレーヌの視点から描かれます。

この物語で語られるエリックの容貌は、ジェラルド・バトラーのファントムなんてもんじゃありません。
たぶん、ゾンビみたいな顔なんじゃないかな…。
相当おそろしい容貌みたいです。

そして、その容貌ゆえ、たった一人の肉親である母親(父親はエリックが生まれる前に死亡)から愛されずに育った…というのが、エリックの歪んだ性格の、月並みながらも、説得力ある説明になっています。

このマドレーヌによる仕打ちは、本当にひどいです。
誕生日プレゼントにキスをねだるエリックへの完全な拒絶は、特に悲惨でした。

でも、マドレーヌが特別残酷な人間だったという印象はありません。
少々高慢で自分勝手なところはあっても、マドレーヌは、どこにでもいそうな若い女性です。

ただ、不幸が重なったことと、若く未熟だったことで、エリックのあまりにひどい容貌を受け入れて、息子として愛することにあまりに時間がかかったんだと思います。
もちろん、マドレーヌに限らず、エリックの素顔を見た人は、たいていが彼を受け入れられなかったわけですから。

また、エリックは、ただ容貌が醜いというだけではなく、生まれつき、常人からはかけ離れた恐るべき才能と、善悪の判断に対する無頓着さを備えていたように描かれています。
前者はともかく、後者は、本来なら教育によって身につけるものだと思いますが、どうもこの物語では、そうではないように描かれています。
たしかに、マドレーヌはエリックをしつけているのですが、エリックには善悪の感覚が本質的に欠落している…というような。

こういう、普通の人間には理解できない部分…それが、マドレーヌやそのほかの人びとにとって、エリックをさらに恐ろしい存在にしているんだと思います。
また、そういう部分が、この物語に非現実的でファンタジックな要素を与えているんだと思います。

こうして、エリックは誰からも愛されずに育ったわけですが、それでいて本人は愛情深いところがあって、それは飼い犬のサシャに対する態度からも分かります。

でも、母親にすら拒絶されたことで、エリックは、卑屈で、傷つかないためにプライドばかりが高い皮肉屋になり、自分が愛されることを諦めてしまいます。
その一方で、心のどこかではいつか誰かから愛されることを望みつづけているわけで、結局、この物語は、そんなエリックの愛を求める物語です。

ところで、長らくエリックを拒絶し、傷つけつづけたマドレーヌですが、最後の最後になって、ようやく自分がエリックを愛していることに気がつきます。

…でも、時すでに遅し。
エリックは、自分が愛する母を危険にさらし、母の幸せを奪っていると思い、家を出てしまったあとでした。

こういうすれ違いは、もどかしく、とても哀しいですね。
結局、⑤でエリックがようやく実家に帰ってきたときには、マドレーヌは亡くなったあとで、エリックは、マドレーヌの愛を知らないまま終わってしまいます。

最後まで母の愛を知らずに終わったことが、エリックの歪んだ愛情につながるんでしょうね。

物語では、クリスティーヌとマドレーヌの顔がよく似ていたことが描かれています。
エリックが最初にクリスティーヌを愛するようになった背景には、母の愛情を求める心があったんだと思います。

でも、もちろん、クリスティーヌに対するエリックの愛は、母を求める気持ちに要約してしまえるようなものではなく、結局は、一人の女性に対する愛情だったんだと思いますが。

一方のクリスティーヌについても、早くに亡くした父親への愛情や、父親が話していた音楽の天使の存在が、最初にエリックと彼女を結び合わせたんだろうし、お互いに最初はちょっと勘違い的な部分があるんでしょうね。

とはいえ、クリスティーヌは、生身のエリックに出会って、その狂気や寂しさに気づいて、一人の男性としてエリックを見るようになるんだと思います。

***

ところで、「誰からも愛されない」エリックですが、実際にはそうでもないわけで。

③のイタリアでのエピソードでは、ルチアーナが登場するまで、マスターメイソンであるジョヴァンニとエリックのあいだには、たしかに父子のような愛情が存在していたし、ルチアーナとエリックのあいだにもほのかな恋心が存在していたと思います。

でも、結局は、激しい気性のルチアーナの登場によって、ジョヴァンニとのほのぼのした関係は壊れ、ルチアーナはルチアーナで、気性の激しさとわがままさ、未熟さ、若さゆえの愚かさのせいで、命を落としてしまいます。

ルチアーナの死は、ある意味では自業自得で、ジョヴァンニが回想するようにエリックのせいではないのですが、きっとエリックは、生涯この出来事を引きずっていたんでしょうね。

また、「愛されたことがない」せいで、人から向けられる愛情には驚くほど鈍感で、ルチアーナの想いにも気づけないエリック。
それがまた悲劇的です。

②のロマとの放浪の旅のあと、殺し屋のようになってしまったエリックですが、そんな狂気の反面、ナイーブで純粋なところがあって、そんな二面性が彼の魅力にもなっているんだと思います。

それから、④では、ペルシャの警察長官のナーディルとその息子レイザーとの友情が描かれます。
このナーディルとの友情は、一生続くもので、ナーディルは、終局とエリックの死の場面でも重要な役割を果たします。

ナーディルは、自分の危険を顧みずエリックをペルシャから逃がし、彼に、無意味な殺人をしないよう誓わせます。
そんな約束、破ったっていいわけですが、エリックは、ナーディルとの約束に縛られています。

ナーディルは、パリに来たあとも、エリックを「監視」しつづけるのですが、2人のあいだには明らかに友情があって…。
一方では、友情や愛情を否定しながらも、ナーディルが自分の作った拷問部屋で死んでしまったのではないかと思って、本気で焦るエリック。

最後まで、ナーディルは、エリックの(時に批判的な)理解者でありつづけたところが、良かったです。
クリスティーヌを去らせた場面で、エリックがナーディルをお茶に誘う場面が印象に残っています。

それから、オペラ座建設のあいだのガルニエとの関係も、友情と呼べるんじゃないでしょうか。

こんなふうに、実は、いろんな人から愛されているエリックなのですが、やはり幼少期のトラウマを引きずってるんでしょうね。

それが、最後のクリスティーヌとの巡り合いで、一気に噴出して、クライマックスに向かいます。

***

⑦の部分は、原作やミュージカルなどで描かれた部分を、作者なりに解釈して再構成しています。
作者がエリックびいきなので、まあ、そういうふうに再解釈されています。

ここでは、クリスティーヌとエリック双方の視点から描かれています。

もちろん、クリスティーヌをめぐるエリックとラウルの三角関係が語られるわけですが、映画なんかでもそうでしたが、エリックとラウルの心情は分かりやすい反面、2人のあいだで揺れるクリスティーヌの心情は微妙です。

それは、きっと彼女自身が(父親の育て方のせいもあって)若く未熟で、自分でも自分の気持ちが分からない…というところに由来してるのかもしれません。

ラウルに対して抱いた幼い恋心を引きずって、穏やかで幸せな日々に心惹かれる反面、エリックの暗く激しい情熱にも、恐れを抱きながら魅せられているというか。

自分勝手といえば、そう映る部分もあります。

エリックが「キレる」原因になる、ラウルとの駆け落ちを決意する場面。

クリスティーヌの独白を読むかぎり、必ずしもラウルを愛しているから駆け落ちするのではなく、エリックを愛しながらも彼に対する恐れをぬぐい切れず、エリックから逃れるためにラウルを利用するというか…。
ラウルがまっすぐ向けてくる愛情に流されるほうが楽だというようにも読めます。
まあ、ラウルのことも愛しているのでしょうが…。

結局、両方を傷つけてしまうパターンですね。

でも、それもクリスティーヌの未熟さゆえの愚かさというか。
彼女が、最後の最後になって、その未熟さと決別することができたとき、エリックは救われたわけですね。

とはいえ、ミュージカルや映画でも切ない思いで見守ったように、エリックは、クリスティーヌを手放します。

この物語では、ナーディルがラウルに説明するように、それは、自分の命が長くないと知ったうえで、クリスティーヌを一人残しておくことはできない…と思ったエリックが、彼女への愛ゆえに自らを犠牲にして、恋敵であるはずのラウルに彼女をゆだねたわけです。

爵位をもつラウルとは、身分違いになるクリスティーヌ。
家族から結婚を反対されることも予期して、そんな場合でも経済的基盤がしっかりしているかどうかを確かめるエリックは、まるでお父さん(笑)

***

…と、この物語は、ここでは終わりません。

賛否両論あるラストでしょうが、スーザン・ケイは、ファントム愛ゆえ、エリックにとって救いとなるラストを創作しています。

ラストの章は、ラウル視点で語られるので、全体に、どこかはっきりさせないような、曖昧に「におわせる」書き方がされています。

エリックは、クリスティーヌを手放したときに、ラウルに、クリスティーヌとの結婚の前日に、招待状をもってくるように約束させていたわけですが。
実際には、ラウルが反対したので、クリスティーヌだけがエリックのもとに戻ります。

そこで何があったのか…ははっきりとは語られません。
…が、おそらく、ナーディルを立会人に、エリックはクリスティーヌと結ばれ、息を引き取った…ということだと思います。

クリスティーヌの死後、ラウルが見つける結婚指輪は、エリックがクリスティーヌのために作らせ、贈ったものですよね?
ラウルが贈った指輪は、どうやらクリスティーヌが妊娠中にむくんだ指から切り取られたようですから…。

そして、ラウルとクリスティーヌの息子として生まれたシャルル。

クリスティーヌは何も言わず、ラウルも何も問いたださなかったわけですが、シャルルがエリックの息子であることが曖昧に、かつ決定的に、ラウルの視点から語られます。
シャルルが似ていたというのは、ラウルがオペラ座の地下で拾った額縁に入っていた写真に写っていたエリックの父でしょうね。

シャルルという名前は、ラウルがクリスティーヌとも相談せずに決めた名前ですが、それがエリックの父の名前でもあった…というのは、物語としては偶然ですが、作者の意図としては必然なんじゃないでしょうか。

…もう、なんかこうなるとラウルは、気の毒すぎる役回りです。

クリスティーヌが本当に愛していたのはエリックで、おまけに生まれてきた息子もエリックの血を引いている。
さらには、難産だったがために、シャルルの出産後は、クリスティーヌに触れることも許されず…。

結局、ラウルは、クリスティーヌを手に入れたにもかかわらず、明らかに「敗北者」です。

クリスティーヌを一人残して逝ってしまうエリックから、クリスティーヌの「保護者」として選ばれ、彼女を大切に守り、その死をもってエリックのもとへ返してやる…。

最後に「勝利」したのは、エリックだった…というわけです。
それも、華々しい勝利ではなく、自ら身を引くことによって得た勝利です。

ラウルは、クリスティーヌと表面上は幸せに暮らしながらも、常にエリックという亡霊とエリックのクリスティーヌに対する愛情の大きさを感じさせられつづけたわけで。
甘美な拷問ですね。

だからこそ、ラウルは、クリスティーヌの死によってどこか安堵したように感じ、シャルルとともにオペラ座を再訪することで、解放されたように思ったんでしょうね。

まあ、ラウルのファンからすると、なんて結末!…って感じですが(私も、ラウルはラウルで好きなんですよ)。

でも、個人的には、そう悪くないかな。
それは、物語の最後のラウルの独白にあるとおりだと思います。

これはこれでラウルという人物の魅力になっているというか。

亡くなってしまったエリックという、絶対に勝てない相手。
愛する存在とはいえ、ある意味では、クリスティーヌとシャルルの2人を押しつけられたようなものですが。
エリックに見こまれ、エリックの代わりに、その2人を守り、育てるという使命を、淡々と、悲壮感もなく果たしていく姿が印象的です。

***

…と、長々と語ってしまいました。

読みおわったあと、いろいろな思いが心に渦巻く物語で、どうにもうまく感想をまとめられません。
他にも書きたいことがあった気がしますが、うまく書くのが難しいです。

この物語の魅力は、なんといってもエリックという人物像にあります。

その外見がとんでもなく醜いということが何度も繰り返し描かれ、おまけにその内面も一方では狂気に満ちているのですが。
それでいて、一途に愛情を求めている純粋さや、傷つかないために身につけた誇り高さ、皮肉さ…それらがないまぜになったキャラクターの魅力が、じわじわとしみ込んできます。

読みおわる頃には、エリックという人物に魅せられていること請け合いです。

ちなみに、ジェラルド・バトラーが演じたファントムは、この物語に登場するエリックよりも若く、おまけに特殊メイクをしていても美しかったですが、キャラクターとしては、あのファントムを思い浮かべながら読んでも違和感はなかったです。
…というか、余計に愛すべきエリック…と思えました。

エリックの一生で映画化してほしいくらいです(笑)
誰か作ってくれませんかね?
スポンサーサイト



18:46 読書 | コメント(1) | トラックバック(0)
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理者のみに表示