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『イミテーション・ゲーム』の感想

2015/04/05
このあいだ、ずっと気になっていた映画『イミテーション・ゲーム』をようやく観にいくことができました
ベネディクト・カンバーバッチさんが、ナチス・ドイツの暗号エニグマを解読した数学者アラン・チューリング博士を演じてオスカーにもノミネートされたあの映画です。

私は、チューリング博士のことは知らなかったし、この映画についても↑の程度の予備知識しかもっていなかったので、戦時中の難解な暗号を解いた天才の物語なのかな…とか思って観に行きました。
…が、実際には、そんな単純な話ではなく、複数の要素が複雑に絡み合ったまるでパズルのような作品で、観終わったあとはいろいろと考えさせられました。

かといって、小難しくて訳わからん映画だったのかというと、そうではなく。
すっと心に沁みこむ作品でもあり、観終わったあとは、考えさせられるだけでなく、しんみりと切ない気持ちになりました。

オスカーに絡む映画だけあって、エンタメ娯楽作品ではありませんが、2時間近い上映時間ダレることもなく、最後まで楽しめる作品でもあり、さすが秀逸な映画だな…という印象です。

感想を書こうとするとネタばれは避けられないので、以下、感想は追記に書きます↓

複数の要素が複雑に絡み合ったパズルのような作品…と書きましたが、私にとってはまさにそういう作品で、まとまった感想を書こうと思うものの、書けそうにありません。
…なので、以下では、複数の要素をバラしながら、つれづれなるままに感想を語りたいと思います。

なお、アラン・チューリング博士は実在の人物ですが、ここではあくまで映画で描かれたアラン・チューリング像について語るので、実際にどうだったか…は置いておきます。
あしからず。

暗号解読の物語

この作品を観るにあたって、予備知識のない私が思っていたのは、これは、解読不能とされたナチス・ドイツの難解な暗号を解き明かしていくまでを描いた映画なのだということでした。

実際、この映画の1つの筋をなしているのは、その物語。

映画では、解読不能とされたエニグマ暗号を解き明かす任務を託されたチューリング他数人が、互いに衝突しながらもついには信頼関係を築き、協力して暗号解読を実現するまでが描かれます。

…と、こう書いてしまうと、ベタな物語のようです。
実際、単に暗号解読の物語として観てしまうと、ベタな展開で、それほど面白く感じられないかもしれません。

その1つの原因は、アランたちによるエニグマ暗号解読の手法が、無数にある組み合わせの中から短時間で正しい組み合わせを突き止めるため機械を製作する…というものだからだと思います。
だから、この映画での暗号解読は、『ダヴィンチ・コード』や『ナショナル・トレジャー』のようなミステリアスな謎解きではありません。

なので、暗号解読=謎解き映画と思うと、肩透かしを食らうかも。

とはいえ、他者とのコミュニケーションが苦手なアランが、当初、暗号解読のために集められた仲間たちから疎まれていたものの、ジョーンの助けを得ながら徐々に仲間たちとの信頼関係を築いていく様子は、ベタとはいえ、ドラマとしては面白かったです。

当初は、仲間たちとの会話も成り立たず、「ありがとう」とお礼を言うことすらできなかったアランが、ついにはヒューに「ありがとう」と言う場面、アランが軍の責任者からプロジェクトの打ち切りとクビを言い渡された場面で、ヒューやジョンがアランを解雇するなら自分たちも…と割って入る場面は、なかなかに感動的でした。

ただ、この映画は、暗号解読にいたるプロセスを描きながらも、それだけに終わっていない(…というかむしろ、実はそれ以外の要素をメインにしている?)ところがミソだと思います。

報われない成功の物語

この映画のポイントの1つは、暗号解読の成功がゴールではない、ということ。
アランたちは、エニグマ暗号の解読に成功するわけですが、それがひと度ドイツに知られてしまえば、当然のことながら、ドイツは暗号システムそのものを変えてしまい、それまでの努力が水の泡になってしまうばかりでなく、ドイツ軍の攻撃に関する情報を得ることができなくなってしまいます。

したがって、アランたちによる暗号解読は機密事項とされ、イギリス軍にすらそのことは伏せられます。
アランたちは、ドイツ軍にバレることなく、戦争をできるだけ「ローコスト」で終わらせるべく、傍受・解読した情報をもとに、防ぐべき攻撃と情報は得ているにもかかわらず見逃す攻撃を統計的処理によって選択し、MI-6に流すことになります。
…で、MI-6は、エニグマ暗号の解読が疑われないよう、防ぐべきとされた攻撃については、偽の情報源をでっち上げる…というわけ。

そして、戦争が終わったのちも、エニグマ暗号の解読は機密事項のまま、アランたちの功績は「存在しないもの」とされてしまいます。
たしかにアランたちの行為は、少なからぬ犠牲を容認するものでしたが、それでもこれまた少なからぬ人々の命を救ったはずなのに、その功績が世に知られることは長らくなかったわけで。

おまけに、戦後は、プロジェクトを通じて知り合い、信頼関係を築いた仲間たちとも別れ、もともと知り合いではなかったことにしなければならないなど、まったく報われることのないばかりか、犠牲すら伴う成功だったのです。

そればかりか、次に書くように、アランは、そもそも犯罪ですらない罪に問われ、犯罪者、異常な人間として社会的に葬られたわけで、やるせないというか、あまりの報われなさに切なくなりました。

…で、比べるのもどうかと思うんですが、思い出したのがBBCのスパイドラマ『MI-5 英国機密諜報部』。
あのドラマでは、スパイたちがテロなどの国家の危機を、時に大きな犠牲を払って救うのですが、spooks(=幽霊たち、すなわち存在しないもの。スパイのこと)の功績が世に知られることはありません。

救国のヒーローとして祭りあげられる展開もどうかと思うけど、こういう報われない物語は、ほんと切ないです。

孤独な天才の物語

この映画の主人公アランは、天才的な頭脳をもちながらも、他人とのコミュニケーションが不得手。
他人の発した言葉を文字通り受けとってしまうため、その言葉に込められた意味を読みとることができません。
また、他人を思いやったり、人間関係を潤滑にするための心配りもできません。
アラン・チューリングはアスペルガー症候群だったとの説もあるそうですが、ともかくも、彼は「変わり者」と見なされ、周囲の人たちから理解されず、はしばしば問題を起こしてしてしまいます。

ところで、こういうパーソナリティといえば、ある人物を思い出します。
そう、同じくベネディクト・カンバーバッチさんが演じているシャーロックです。
こういう役がほんと似合ってしまいますよね、彼は。

映画を観ていて思ったのは、このタイプの人は、寛容で懐の深い理解者を必要としている…ということ。
そういうパートナーや仲間がいてはじめて、そうした人たちが社会にうまく溶け込むことができるし、並外れた能力をいかんなく発揮もできるんだろうなぁ…と。
シャーロックの場合のモリーやレストレード、それにとりわけジョンのような。

…で、アランの場合はというと、ジョーンやヒューたち、エニグマ暗号解読チームのメンバーは、かなりそれに近い存在だったと思います。
特に、ジョーンは、誰よりもアランのことを理解し、アランも彼女に好意(恋愛感情ではなく)をもち、一時は婚約までしたわけで。

後述するように、映画のラストやプロポーズの場面でのジョーンとのやりとりを見ていると、彼女の前ではアランが弱さを露呈しているように思えました。

でも、次の項目で書くように、アランにとってはクリストファーの存在があまりに大きく、それに好意を抱く相手を危険にさらしたくないという思いもあってか、彼はジョーンを突き放してしまいます。

結局、戦後、アランは、「クリストファー」と名付けた機械だけを心の支えとして孤独に生きることに…。

その寂しさを思うと、シャーロックにとってのジョンがどれほど大きな存在で、彼を救っているのかを何だか思い知らされたような気がしました。

同性愛者に対する差別の物語

この映画で描かれるもう1つの筋は、同性愛者としてのアラン・チューリングの葛藤や彼に対する差別でした。

私は、何せ、予備知識なく観たもので、アランが同性愛者だった…というのはまったく知らないまま観ていたのですが、少年時代の回想シーンで、アランが友人クリストファーに向ける表情がそれっぽいな…と思ってたら、やっぱりそうでした。

この時代のイギリスでは同性愛はタブーで、同性間の性行為は犯罪と見なされていたそう。
なので、アランにとって、自らが同性愛者だということは隠さなければならない秘密の1つでした。

…が、最終的に、アランは、男性に対して淫らな行為をしたかどで有罪となり、服役かホルモン治療かの選択を迫られ、後者を選びます。

ショッキングなのは、そう遠くない過去に、同性愛が犯罪、そして治療すべきある種の病気だととらえられていたことです。

映画のラストでは、ホルモン治療を選んだアランが、1年間の「治療」ののち自ら死を選んだことが字幕で語られます。
そして、アランを犯罪者にした法律によって、4万9000人もの人たちが訴追されたこともまた、同じく字幕で流れました。

このあと、字幕はアランの功績を讃えて映画が幕を閉じるわけですが、こういう終わり方だったので、同性愛者に対するいわれのない差別に対する批判というか、戒めが、この映画にとって大きなメッセージの1つでもあったんだなぁ…と最後に確認する形になりました。

究極のラブストーリー

同性愛について、もう1つ。
アランが逮捕されたのは、男娼に対する行為ゆえでしたが、映画を通して描かれるのが、少年時代の同級生クリストファーに対する恋愛感情でした。

クリストファーは、変わり者としていじめにあっていたアランを唯一救ってくれた友達ですが、アランはそんな彼に対して友情以上の感情をもつようになります。

しかし、アランがクリストファーに自分の想いを告白しようとした矢先、彼は帰省中に結核で帰らぬ人に。

校長先生(…でしたっけ?)から彼の死を知らされたアランは、クリストファーとは友人ではなく、よく知らない相手だと言って、ショックと悲しみを表に出そうとはしません。

これは私の勝手な見解ですが、アランは、このときのクリストファーの死をずっと引きずっていたというか、受けとめられなかったというか…。
この時、校長先生の前だったから悲しむことができなかった…と見ることもできるし、あるいは他者とのコミュニケーションがうまくとれないアランには素直に悲しみを吐露することができなかった…と見ることもできるけど、なんとなく、映画ラストのジョーンとのやりとりの中ではじめて、その時の悲しみを受けとめて吐露することができたように感じました。

…で、ずっとクリストファーへの想いを引きずっていたからこそ、アランは、エニグマ暗号の解読装置に「クリストファー」という名前をつけた、ということなんでしょうね。
戦後、ジョーンに服役を拒否した理由を話す場面を聞いていると、アランは、亡くなったクリストファーの代わりに、機械の「クリストファー」に執着し、それが人間のクリストファーとは違うと知りながらも、孤独からその機械を愛してしまっているように感じられて、これまた切なかった…。

ホルモン治療で衰弱して、得意なクロスワードパズルすらままならないまでになったアランが、クリストファーからもらった暗号解読についての本を手にし、「クリストファー」と名付けた(エニグマ暗号の解読装置を持ち出すことはできなかったでしょうから、これは戦後、アランが新たに作った装置ですよね?)機械に語りかけるラストを見ていると、これは、一途で不器用、孤独なアランという人の切ないラブ・ストーリーでもあったんだなぁ…としみじみしました。

「イミテーション・ゲーム」というタイトルの謎

私がこの映画を観る前に気になっていたのは、『イミテーション・ゲーム』というタイトルの意味。

観賞後にググって知ったんですが、「イミテーション・ゲーム」というのは、別名チューリング・テストとも呼ばれるもので、ある機械に人工知能が存在するかどうかを判定するためのテストのことを指しているんですね。
これについては、映画の中でも、同性に対する淫らな行為の罪を問われて逮捕されたアランが、取り調べに訪れたノック刑事に説明しています。

…と、この言葉の意味は分かっても、それがなぜ映画のタイトルなのかについては、まだ未解決。

この取り調べのシーンで、アランは、ノックに対し、少年時代と戦時中の経験について語るのですが、その際、今から自分が話すことを聞いて、話している自分が機械なのか、人間なのか、戦争の英雄なのか、犯罪者なのかを判断するように求めます。

これ、たしかにチューリング・テストに倣ったものですが、そもそも話しているのが機械か人間かって、そりゃ明らかにアランは機械ではなく人間ですよ。
ですから、ここでのテストは、機械の人工知能を試すものではありえず…。

そこをあえてこの質問をしたアランの心情は何だったのか…と考えてみると、アランは自分が何者なのかが分からなくなっていた、あるいは誰かに判定して(教えて)ほしかった、ということなのかなと。

質問されたノックは、この質問に答えることができません。
そこで、アランは、それならば自分の助けにはならない…というようなことを言っていたと思います。
つまり、アランは、その質問に対する答えを与えることで自分を助けてほしかった、ということなのではないかと。

ここで、アランはなぜ自分が何者なのかが分からなくなっていたのか。

上にも書いたように、戦時中、アランたちは、エニグマ暗号解読がドイツ軍にバレないように、暗号解読によって得られた情報をもとにドイツ軍の攻撃を阻止する場合と、暗号解読によってドイツ軍の攻撃を事前に知りながらも見過ごす場合を、統計的に処理して決定していました。
これは、最小限の犠牲で戦争をできるだけ早く終わらせるためとはいえ、救う命と犠牲にする命を選別していたということで、ある意味では神の領域に属するような行為とも言えます。

アランは、それを純然たる統計によって、すなわち機械のように処理していたわけです。

アランが罪の意識をあからさまにする場面はありませんでしたが、自分が機械なのか、人間なのか、という質問は、私にはこのこととリンクしているように思えました。

自分が戦争の英雄か、犯罪者か、という質問も、一方では、暗号解読によって戦争のより早い終結に導いた英雄か、それとも同性愛による性犯罪で逮捕された犯罪者か…ともとれますが、他方では、その犯罪者という言葉は、少なからぬ命を犠牲にすべく選別したという戦時中の行為を指しているようにも思えます。

いずれにしても、アランは、戦時中の出来事にとらわれたまま、戦後の社会に適応することができず、自分が一体何者なのかも分からなくなってしまっていたんじゃないかと…。

ラスト近く、ジョーンの言葉は、そんなアランに少しでも慰めになったでしょうか。
ジョーンは、アランの行為が失われていたかもしれない多くの命を救い、破壊されていたかもしれない街を救ったことを説き、「あなたが普通じゃないから、世界はこんなにも素晴らしい」と言います。
アランは、普通の人間とは違っているかもしれないけれど、彼が何者であれ、彼のことを肯定するジョーンの言葉は心に響きました。

ところで、製作サイドとしては、「イミテーション・ゲーム」をタイトルにして、アランの回想シーンを貫く軸としたのは、もしかしたら、エニグマ暗号解読という偉業を成し遂げながら、同性愛ゆえに犯罪者と見なされたアラン・チューリングという人の再評価を題材としたからでしょうか。
ノック刑事がアランの質問に答えなかったことで、アランが機械だったのか、人間だったのか、戦争の英雄だったのか、それとも犯罪者だったのか、という質問に対する答えは、われわれ観客にオープンなまま投げかけられているようでもあります。

***

最後におまけ。

本編については上のとおりですが、その他のこまごまとしたことをいくつか。

・戦争の映画ではあるけど、暗号解読がメインだから、時々出てくる戦争の場面はあんまりリアリティなかったなぁ。

・『ダウントン・アビー』のブランソンこと、アレン・リーチさんがアランの同僚ジョン役で出演してましたが、ブランソンの時よりさらにふっくらしてて、顔とか腕とかまんまるでびっくりした…。ちょっとLotRのサムみたいだったよ。


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